渋谷望「救援集会発言要旨――非暴力直接行動について」 

 1月23日の報告集会での渋谷望(しぶや・のぞむ)発言事前原稿を、一部修正したものを掲載します。先日アップした米津篤八(よねづ・とくや)さんのご発言は、黒い彗星こと崔檀悦(ちぇ・だんよる)のバナー・メッセージ内容を、歴史的・現代的な文脈をふまえて日本人としての立場から解釈しようとするものでした。渋谷の発言は、崔が2010年12月4日に採用した「非暴力直接行動」という方法を、世界的な反差別運動の伝統に位置づけようとする一つの試みです。

非暴力直接行動について


●ぼくは崔さんの指導教員なのですが、彼の成績が悪かったとかそういうことについて話しに来たわけではなく、彼の抗議行動がどういう意味をもっているのかぼくなりの理解について話したいと思います。


●今回の彼の抗議行動は一般に非暴力直接行動と呼ばれるものです。


●実際、救援ブログのメッセージなどでローザ・パークスに彼の行動を重ね合わせる人が何人もいました。ローザ・パークスは、白人優先バスで白人に席を譲らなかった黒人女性で、彼女の行動からキング牧師を指導者とする公民権運動が始まったとされています。


ローザ・パークスほど知られていませんが、ランチカウンターのシットインという有名な非暴力直接行動があります。1960年にアメリカのグリーンズボロという町で始まった運動で、黒人学生たちが大手デパートの食堂の席で注文を取りに来るのを待ったという運動です。


注文を取りに来るのを待つということが運動になるというには何か奇妙な感じがしますが、当時の南部では人種差別が公認されいて、彼らが座ってオーダーを待っていたその食堂も、客としての黒人の入店を歓迎しない大手デパートの食堂だったのです。


彼らにオーダーを取りに来る者はその時いませんでしたが、だんだん日がたつにつれて運動は広がっていきます。するとそれとともに、差別主義者たちがやってきて嫌がらせをします。彼らをののしり、卵を投げつけるなどの嫌がらせが高じていきます。
しかし結局、食堂は差別的な待遇を撤回することになります。


●待つという地味な行為が運動になるのは、それがそれまでスルーされていたさまざま差別の異常さをあらためてあからさまにするからです。その異常さとは、たとえば、黒人の出入りを禁止する食堂の異常さであり、じっと座っている黒人をののしり、卵をぶつけるといった、差別する側の異常さです。非暴力直接行動とは、それまで黙認されスルーされてきたこうした差別や抑圧をあきらかにし、問題を可視化する戦略です。


●今回の彼の行動はこうした非暴力直接行動の世界的な運動の伝統に位置づけることができます。じっさい彼の行動はデモ隊の側の異常さを明らかにしました。先ほどのビデオで見たように、横断幕をもってゆっくりと近づく彼を問答無用ではがいじめにし、リンチにすることの異常さです。さらにいえば、こうした行為が許されていると感じることの異常さであり、法治国家がこれを許すことの異常さです。


●僕は12月4日のデモを主宰した人たちの主張のことをよく知りませんでした。じつは今もそれほど知りません。しかし彼らの主張が何であれ、反対の意志を表明する者にリンチをすることが正しいと考えているのであれば、それは常軌を逸しています。
彼の抗議行動はそのことをあらためてあからさまにしてみただけです。