「民族教育の権利を守るぞ!」(崔檀悦インタビュー)

 雑誌『インパクション』に黒い彗星こと崔檀悦(チェ・ダンヨル)のインタビューが掲載されております。このたび、担当編集者の許可をいただき、転載させていただきます。なお、「12.4 黒い彗星★救援会」(1月23日の報告集会をもって解散)は当初より企業としての株式会社インパクト出版会とは提携関係にありませんでした。
 このインタビューは、黒い彗星のいつもの「ゲバルト節(ぶし)」を反映しており、単純にエンターテインメントとしてすら意義のありうるものです。そして、よく気をつけて読むと、彼のまじめなおもいがにじみ出てきます。
 「跡地」ブログ担当者は、黒い彗星より、在日韓国人朝鮮人のいわゆる「指紋押捺闘争」についての公刊された文献を紹介される幸運に恵まれました(下記インタビュー引用後に紹介します)。おそらく、このインタビューを理解するためには、たとえばそうした歴史についての学習も必要となるのでしょう。とはいえ、読みものとして素でおもしろいので、ぜひ↓。また、支援してくださった政治的にも他のあらゆる意味でも多様なみなさまへの感謝の言葉が含まれています。

「民族教育の権利を守るぞ!」
黒い彗星、12・4不当逮捕事件を振り返る
排外主義デモに単身抗議


崔 檀悦


2010年12月4日。京都朝鮮初級学校を襲撃した排外主義者たちが、京都他四カ所で一年前の事件を賛美し朝鮮学校解体を叫ぶデモを行なった。そして渋谷で、バナーを持ちデモ隊に立ちふさがった青年が暴行容疑で逮捕された。「黒い彗星」こと崔檀悦さん、本誌174号でも執筆いただいた在日コリアン三世の大学院生である。彼が暴力をふるった事実はない。むしろデモ隊から激しい集団暴行を受け、頭部などに全治三週間の大けがを負った。その傷痕がまだ生々しい中でのインタビューである。(まとめ・文責 編集部)


——早期釈放されて本当によかった。逮捕されてどうでしたか。
ずっと黙ってるのって難しいですね。三日で出られてよかった。俺はいま戦略的にフィールドワークしてる、つまりこの体験は俺にとってためになる、権力来い! と思いながら……三日が限界でしたね。
指紋とられたことで色々思い出しました。もちろん指紋押捺闘争のこともありますけど、大学入りたての時に盗難事件があって……俺が会計課に手渡ししたお金がなくなったと、ただ会計課の誰だかがまとまった金を持ってた、その金が俺が渡したものなのかどうか調べたいってことで、警察から何度も電話がかかってきて。俺そのころ打倒するぞとか糾弾するぞ! みたいな一番熱かった時期だったんですけど、すごいびびったんですよ。俺いま警察に呼ばれてる、なんでこいつ俺の番号知ってんの、って。紙幣に俺の指紋があれば犯人が判明する、関係者の指紋はみんな取ったからって言われて、知らねえよ、俺在日だぞって言いたかったけど、結局仕方がなく応じたんです。自宅の近くにある交番で。指紋、それから掌紋もとられた。


——それで……証明はできたの?
それが事件は闇の中。俺それですごく悩んで。そのころは、どこか冷めた目で自分をみてる自分と、民族性というところでどうしようもない自分と、個人的な問題、コミュニケーションが苦手でマジョリティについていけないという感覚と、それを民族性に還元してはいけないという意識がぐるぐるまわりながら大学生活を送っていて。どう考えていいか分からなかった。親しくしてた大学の先生にそのことを話したときには、泣いてしまった。俺、裏切っちゃったなあと。
けど今回は、ほんと無感情でした。調書にサイン代わりに押してって感じで「サインじゃだめですか?」ってきいたら「指紋でお願いします」「左人差し指です」って、じゃまあいいですよとポンポンと。何かいっぱい押して、書類指紋だらけになっちゃいますけどいいんですか? ってくらい押しました。次から逮捕されるときは印鑑もっていこうかな……印鑑証明も。


——え、じゃ一本だけ?
いや、問題はその後で。これで終わりかと思ったら留置場に入れられる時に全部とられた!へんな機械があって身長とか全部、写真もあっというまに。指紋は機械の上でスキャン。いま笑っていられるのは、たぶん、一回泣いたことあるからでしょうね。あと韓国で運転免許とりたいというだけの理由で住民登録した時にも押してるんです。韓国では国民全員から指紋と掌紋もとる。その時も、最初とられた時は泣いたのに、いまはただ免許とりたいがために指紋とらせてる自分がいるなあ……って。だから公権力に指紋をさし出したのは三回目ですね。


——日本での外国人登録では押していないんですね。
そうです。私たちの世代が指紋とられないで済むのは、先輩たちの指紋押捺拒否闘争の歴史があったから。だからその精神をくみたいという気持ち、それを裏切ってしまったという思いがものすごくあった。けどリスクをしょってでも伝えたいことが優先としてあったから。調書はとられても逮捕されないと甘く考えてたこともありますけど。


——釈放後に、東京地検に呼び出されましたよね。指紋押捺闘争の本を片手に面接に臨んだ。
あれは母親の本借りてきて(笑)出すタイミングはまったくなかったですね。前澤検察官は暴行があったかという事実に関してはどうでもいいみたいで、まず「遵法精神は君にあるのか」って言われたんですよ。「君は合法的なデモを妨害することに対する違法性は感じないの」とかなんとか。私が「彼らのデモは私にとって許せないことを言っているわけでして」と答えたら、「じゃあ君がデモの主催者だとしたらどう思うの」と。で「無視するでしょうね」って言ったら「それで危ない目に遭ったのは分かってるでしょ」って。妨害したかどうかが重要みたいな言い方だった。「そうじゃなくて、私はマイノリティに対するヘイトスピーチが許せなくて……」と言ったとたん「そんなことは聞いていない! もういいよ、キミ出てって!」って。一蹴ですよ。暴行があったかなかったか、暴行を受けると分かっててもなぜデモに反対するか、こんな歴史があってとか、色々話したかったのに、こちらの立場は全くくんでもらえなくて。


——崔さんが在日朝鮮人だということについて、リアクションは?
なーんにもなかったですね。まさに法というシステム原理でしかアタマ動いてないんじゃないかって感じ。ハナから邪魔者と決めつけてて……まあ、立派なイヌですね。あ、スミマセン、シニシズム出てしまいました。
結果、不起訴ということで、証拠映像もあるし起訴は無理と判断したんでしょうけど……なんか俺、中途半端に出されたから被害者ヅラできないんですよ。あと「大人になりなさいよ」とも言われましたね。なんか27歳だったら新卒でサラリーマンやってもう五年めだろ? みたいな感じに聞こえた。「では、私の処分に関して大人の寛大な対応をぜひ勉強させていただきます」とかなんとか、うまいこと言えばよかったなあ。だって、途中でキレて「出てけ」って言ったのどっちだよ!(笑)。あれにはびっくりした。「大人になりなさいよ」って言った人がいきなりキレて「退場!」って、心の壁いきなりシャットダウンですよ……。


——なんかポカーンとした顔で面接から帰ってきましたもんね。「俺、怒られたんですけど……キレられたんですけど……」って(笑)
結果、起訴猶予、「暴行の嫌疑は多少ある」みたいな処分になるっていやがらせだなあって。暴行の事実についての質問なんかひとこともなかったですから。たんに前澤さんは俺のこと気にいらないから起訴猶予にしたんじゃないか。「嫌疑なし不十分」にならなかったことで、応援して下さったみなさんをがっかりさせてしまったと思って。


——東京地検が腐ってるだけ。ネットでは崔さんへの誹謗中傷が続いています。顔写真もアップされている。中には崔さん自身、気にいってる写真もあるようですが。
西村修平主権回復を目指す会)を投げ飛ばしてるようにみえるやつ、あれ気に入ってます。あまりにもうまく撮れてるんで、何でこんな奇跡の一瞬が撮れたの?っていう。正直、俺その瞬間のことよく覚えてないんですけど、あの写真見せられたら、あ、俺ほんとに修平を倒したのかなって。すかっとする人いるんだろうな、と。俺もあの写真みてすかっとしましたから(笑)。柔道やってるからああいう動きがくせになってるんで、無意識にかわしたんでしょうね。あんなふうに突っ込んでこられたらバランスをとって転がしてあげないと逆に危ない。だからたぶん一番いい形で転ばしてあげてると思うんですよ。自分も多少リンチされても血が出るくらいはしょうがないかなとは思ってたし……。


12月4日は、崔さんにとって忘れられない日だった。一年前のこの日、在日特権を許さない市民の会の構成員が、京都朝鮮第一初級学校におしかけ、「スパイの子」「日本から出ていけ」などと罵声を浴びせ、地域住民や京都市とも合意の上で長年利用していた公園からスピーカーを無断で切断、演台やゴールポストを勝手に撤去するといった暴挙を繰り広げた。事件をめぐってはこの一年、大きな動きがいくつかあった。在特会側から逮捕者がでると同時に朝鮮学校の元校長が都市公園法違反で書類送検された。現在、朝鮮学校側が提訴。一方で、朝鮮学校の高校無償化排除はいまも続いており、外国人地方参政権も話題にのぼらなくなった。それどころか、延坪島砲撃事件を新たな契機に、朝鮮学校で学ぶ生徒たちにもっとも鋭く報復感情が向けられるという事態が続いている。崔さんはそうした中で署名集めやビラまきといった地道な活動を続けてきた。朝鮮語講師もしており、朝鮮学校での民族教育の重要性を再認識してきたと話す。


——チェさんは基本的に一人で行動してますね。
俺はいつでもピンですよ。友だちいなくて悪かったな、冗談です(笑)。エルファという高齢者施設に在特会が押しかけたときも朝の新幹線で京都に行って、自分は在日ですけど、そこで闘っている人たちとは同胞であるってだけで立場性はちがう。
私の中では、2010年1月24日に起こった出来事が一番大きくて。新宿中央公園で、高校生が逮捕された。私も現場にいたんで。中谷(主権回復を目指す会)に髪の毛むしられたし。mixiの「在特会を許さない市民の会」管理人をやってるんですけど、京都朝鮮初級学校の事件が起こってしまって、その後、池袋で中国系商店に奴らが押しかけた事件で高校生と出会って、1月24日は行かないとちょっと俺しめしつかないなと思ったこともあって行って、結果ボコ殴りにされた。それからですね、京都、蕨、地元・仙台、小平、私の愛する秋葉原も……。


——12月4日は正確にはシットインしようとしたんですよね。バナーしか持っていなかった。
そうです。座り込めば逮捕されなかったのかなあ。公道に一歩出た瞬間、ふっといろんなことがアタマをよぎった。さんざん在特会の問題は日本人の問題と言いながらフライングぽいなとか、運動的に奴らが衰退しようとしてるときに戦略上どうなのかとか……けど、衰退してようがどうしようが関係なく、許せなかった。とにかく。1・24以降、私は在日朝鮮人として久々の強制国外退去者になってやる、っていう覚悟でいたんです。あの日のこと、ほんとうにくやしかったから。
もちろん甘い考えもあったと思います。自分はその日の夜知人と飲む約束してたんで、せいぜい何時間か拘束されて調書とって出られるだろうと思ってた。
私は、在日朝鮮人である前にニートなんで親にもうしわけないという気持ちはもちろんあります。
だけど、私はいわば、幸福な在日なんです。在日の中でもマジョリティで教授の息子で、やっぱり恵まれている。だから在日同胞はまきこまない。単パネで行くしかない。


——崔さんは、在特会の存在は早くから結成当初から知っていましたよね。ネット上で増殖する排外主義を「パラノイアナショナリズム」と名づけ、注目してきた。大学院で社会学を専攻したのも、そうした問題意識からですよね。
はい、2003年頃からブログやってて、ネトウヨにめちゃくちゃ荒らされた時期があって。つくる会とかが出てきたころで、本当この現象怖いなあ、どうしようって思ってた。あのころ『嫌韓流』が飛ぶように売れてて、見ていると、アマゾンランキングに『嫌韓流』が一瞬出てないってだけでブログに火がつく、そういう瞬間があるんですよ。自分たちの不満、不満、不満ばかり。被害者意識。
じっさい90年代以降の保守的な言説を口にする人は、他国や左翼を馬鹿にし揶揄するアイロニー言語に長けていて、揚げ足取りばかり。とにかく冷笑的。それで「タブーに挑戦する」ってことになってる。ハァただ構造化した中でのおまえらの差別感情吐き出してるだけだろっていう……。差別の内在化というのは怖いなあと。
そういうことずっと考えてたので、ポスコロ研究者やりたいなあとも思ってたけど、それやってる同胞それなりにいるから、俺はあえて継続する植民地主義の文脈から、2ちゃんねるとかサブカルみたいなのを理解しようと、ネトウヨ分析やろうと思って。
誰もが差別意識を持っているし、持たないと生きていけない構造になってる。そのことが問題だと思っています。その中で冷静に自分の間違いを認めながら反省する、私は自己再帰性と言ってますけど、つまり自らを振り返る力というのが必要で、けど反省しないロマン主義がはやってる。ネタにベタに反応しちゃう。それがネトウヨ現象だと思ってます。まあ、あと何というか、俺こそシニシストだろって感じだったんで。


——シニシストなの?
そうですよ。実際暴言吐きまくりで怒られまくってますよ。昔から厭世的な人間で。きっかけは、差別ですね。高校のときの応援団長が産経新聞が大好きな奴で、そいつに急に「朝鮮へ帰れ」みたいなこと言われて。いきなり。けっこう仲良かったのに。


——仲良かった人なんですか?
よかったですよ、だって俺、柔道部の部長ですよ。応援団長は大会で俺のこと応援しなきゃいけないのに。他にも調理実習のとき同じ班でコロッケつくったときに、うまいうまいって俺が食ってたら、彼が「これは俺とお前でつくったから『日韓併合』って名付けよう」って……もうどう言っていいか分からなくて。それで、理系で彼と同じクラスだったんですけど、文系志望に変えました。本当は、動物学者になってアフリカに行きたかった、野生のチーターとゴリラみるのが夢だったんだけど。
彼に応答しなきゃ、言われっぱなしでくやしいという気持ちがあって。俺がいまここにいることの正当な論理がほしいって思った。大学で最初哲学を選んだのは、やっぱりどこかシニシストなんでしょうね。メタな視線に立ちたかったんじゃないかと。シニシズムってそれ自体が癒しなんですよね。
ある意味ひらきなおれるし。マジョリティ願望もあります。私のところどころ出る問題発言というのもマジョリティ願望であって、差別を内在化してるってことなんですよね。ミソジニーあるし……だから自己再帰性が大事だと。私はみなが自己再帰性を機能させるのが、差別をなくす唯一の方法だと
思っているんです。
在特会のような奴らは、存在論的不安と相対的剥奪感に支配されてる人たち。彼らがいったいどういうメンタリティでウトロや朝鮮学校に堂々とヘイトスピーチをばらまきに行くのか、それは日本人っていうだけで安全圏の中で守られてると信じてる、からだと思う。自分には日本人ってだけでそれ以外の他者をコントロールできる権利があると思っている。けど、実際は、現実にはそうじゃない。
それを認めるのが怖いんでしょうね。そのためには暴力も肯定する彼らの正義は、単により強い者の側につくかどうかで決まってる。そういうの、シンプルに許せないんですよ。


——崔さんが掲げたバナーには「民族教育の権利を守るぞ!/阪神教育闘争の精神を受け継ぐぞ!/祖国統一!」とありました。ハッとした人も多いと思う。私もその一人です。最後に「黒い彗星」の由来は?
「黒い彗星」は、2ちゃんねるでゴキブリの愛称を募集しててそこで見つけた名前です。ゴキブリ上等! ……いや、聞かれるたびにいろんな違う理由言ってて、これも後づけですけど(笑)。支援してくれた全国のみなさんには本当に感謝してます。マジRESPECT!


※事件の経過と詳細は、「12・4黒い彗星★救援会(跡地)」ブログ
http://d.hatena.ne.jp/free_antifa/


インパクション178号 掲載)
インパクト出版会


参考

指紋押捺拒否者への「脅迫状」を読む (1985年)

指紋押捺拒否者への「脅迫状」を読む (1985年)