「12.4 黒い彗星★救援会」総括報告

 前回の更新からずいぶんと時間がたちました。私たち「12.4 黒い彗星★救援会」が消滅してからと同じくらい。この「会」は、もう存在しません。ブログ担当者(常野雄次郎:つねの・ゆうじろう)は、まずそのことを誇りに思います。「会」の結成にあたり、私たちはしかるべきときに解散し、その後は逮捕当該に対する「会」としての影響力を放棄するということを誓約しました。ほかのどんなことにいたらぬところがあったとはいえ、報告集会後の総括会議において圧倒的に確認しました。
 一方、この「跡地」において、いくつかの文章や映像などを順次公開していくことも、その会議で合意していました。これまで更新がとどこうっていたのは、ひとえにブログ担当者の怠惰によるものです。たとえばその一つ。

           「12.4 黒い彗星★救援会」総括報告 (7月版)


 「12.4 黒い彗星★救援会」は、1月23日の報告集会をもちまして解散しました。ご支援いただいた全国・全世界のみなさまに、あらためてお礼申し上げます。
 黒い彗星の愛されキャラが功を奏してか、逮捕当日からバラエティに飛んだメンバーが集まり救援会が結成されました。弁護士にも恵まれ初動からうまく連携できたこと、決定的な現場映像の存在たくさんの激励と多額のカンパ(31万2117円)*1、そして本人のがんばり、ご家族の理解もあり、異例の早期釈放、そして不起訴決定をかちとれたことは特筆に値すると思います。
 反面、黒い彗星は、12.4当日の集団暴行・不当逮捕による身体的ダメージにくわえ、インターネット等における誹謗中傷にダイレクトにさらされることとなり、精神的負担も大きかったかもしれません。くわえて、黒い彗星をサポートする過程で、救援会のやり方や方針について多くのご意見、ご批判もいただきました。救援会は、黒い彗星の意思を最大限尊重しつつ、救援会としての独自の方針を立てました。この不当逮捕事件はひとりの在日朝鮮人への二重三重の差別によって起こったものであること。黒い彗星が問うたのはわたしたち救援会を含むこの日本社会の無惨なありようであり、救援にあたるわたしたち自身にも向けられていること。救援会自身がこれらに自覚的になることを出発点に、救援会は黒い彗星とはことなる立場にあることもまた自覚しながら、不当逮捕に反撃するキャンペーンを行ないました。
 サヨクの伝統では、救援会はまず「逮捕・拘束」という不当な事態にかかわるサポートを行なうものとされていますが、早期釈放をうけて、黒い彗星の身の安全の確保(名誉毀損、誹謗中傷、襲撃や生活圏へのいやがらせ対策など)。さらに、萩尾健太弁護士による報告集会発言にもあるように、不起訴にあたっての「嫌疑なし」明記が獲得が命題となっていきました。そのために、救援会メンバーの間でも、この方針をふまえて具体的にどう発信していくか、12.4朝鮮学校差別デモへのスタンス、救援会メンバーではない方々とどのように連携するか、ネット上での対策、報告集会の構成などについてもさまざまに意見が分かれたにもかかわらず、個々の課題で意思一致に向けた話し合いが充分であったとは言えません。
 とくに早期釈放の決め手となった現場映像をご提供いただいた方には12.4の現場で黒い彗星と同じく差別・排外主義者そして警察権力による剥き出しの暴力に強烈にさらされたにもかかわらず、救援会からは協力を仰ぐばかりで過度の精神的負担を強いてしまいました。黒い彗星への信頼あってこそ協力を申し出てくださった方々に、不信感を与える結果となってしまったことをおわびし、ご協力にあらためて感謝いたします。
 これらは、黒い彗星との間に、そしてメンバー間にも本来あるはずの考え方の違い。さらに、通常のサヨク救援とは異なるメンバーの多様性や外部協力者を意識しつつも、十分に話し合うことを怠っていたせいでもあります。ていねいな応答のやりなおしを、権力対峙のさまざまな場面で、この日本社会の中でどのように可能か、個別具体的な場で鍛えなおし実践していきたいと思います。


 3月11日、東北地方をおそった大地震津波で、黒い彗星の生まれ育った街もまた壊滅的な被害をうけました。黒い彗星は現在、避難所ボランティアなどをしながら、被災地からツィッターをつうじて自ら発信しています。悩み迷いながらも、本来のペースをとりもどしつつあります。
 12.4黒い彗星救援会も、役割を終えました。
 わたしたちはこれからもこの事件を風化させることなく、黒い彗星のメッセージに各々応えていこうと思います。
 あたたかいご支援をよせてくださった多くのみなさまに感謝いたします。

*1:そのほとんどは、お願いからほんの数日以来に寄せられ、むしろもう十分ですという広報が必要となったくらいです。

異論を弾圧する日本(デイヴィッド・マクニール)

 黒い彗星への12.4不当弾圧について触れている記事(デンヴィッド・マクニール記者)を紹介します。翻訳は、id:hokusyu が担当しました。

異論を弾圧する日本(デイヴィッド・マクニール)
2011年2月25日


私は最近、沖縄で、新しい6つのアメリカ軍ヘリパッドが高江村に、また、新しいフェンスが辺野古に、急ピッチで建設されようとしていることについて取材した。アメリカ国防長官ロバート・ゲーツが、日本最南端の県の基地問題に関して先月、これまでよりも宥和的な印象を見せたにも関わらず、これらすべては起こってしまっていることである。
 

これまでと同じように、強硬な警察の行動をともない、突然の戦略の変化が生じたように思われる。沖縄への基地建設反対派は、警察の嫌がらせをずっと非難してきた。そして今週(訳注:記事が書かれたのは2月25日)、二人の中年の活動家が、東京のアメリカ大使館から100mのところで逮捕されたというニュースが飛び込んできた。かれらは、申し入れ書を大使館に届けようとしていたのである。

 
ほかの活動家たちによれば、かれらが警察に逮捕の理由をたずねたとき、警察は「理由なんて後で良いんだ」と言ったという。目撃者によれば、行進はおおいに平穏なものであった。二人の男が抗議者たちの前線から掴みかかられ、警察の車へと引きずられ、弁護士にアクセスすることも許さず赤坂署に留置されるまでは。警察はこの件に関してコメントすることを拒否した。


これは、二人の男が警察官や大使や大使館員に対して本当に危険であったのか、それとも、とても古典的でしばしば有効であった戦略、つまり多かれ少なかれでたらめな二つの逮捕によって、将来的に問題を起こすかもしれない行動をおびえさせ、その芽をつむということにあったのか――同様のアプローチは、日本の自衛隊におけるあの論争的なイラクの「人道的復興支援」(それ以来疑われているのだが)において用いられていた――、を問う余地は無い、ということを意味する。

 
基地建設の抗議者たちは、すでに、バナーやプラカードをさげたままにしておくよういわれていた。大使館近くで、警察のファランクス(陣形)の中に入り込む前に。聞いた話によれば、6人の人間が、申し入れ文をもって大使館に行くことを許される、という段取りになっていたという。しかし申し入れ書の受け取りは拒否されたのだ。しかも、二人の逮捕に抗議するため、赤坂署に50人が向かったが、彼らは小さな公園の「くぼみ」に3時間近くも押し込められていた。

 
日本の警察が、右翼の暴力を熱心に取り締まることはほとんどない。

 
たとえば、在日コリアンの活動家チェ・ダニエルは、12月の渋谷にて、国粋主義者の集団に襲い掛かられ、暴行された。そのとき彼は、朝鮮学校への公的資金の投入(高校無償化)を獲得するための運動を、守り抜く意志を示していたのである。警察はすぐそばにいたが、チェ・ダニエルを逮捕した。彼を襲撃した者に対しては、ぶらぶら歩くことを許した。もちろん、チェ・ダニエルは、罪に値する”深刻な混乱”を引き起こしていたのである(おそらく、在日系の学校や企業、領事館にむかって、何年も排外主義的な罵声を浴びせかけてきた国粋主義者たちとは違うもののようだが)*1

 
新聞では、この国では合法的で平和的な異議申し立ての権利が尊重されているという。じっさいは、異議申し立ては、ただかろうじて許容されているにすぎない。つまり、それが現状を深刻にゆるがせようとしない限りにおいて、許容されているのだ。しかしなお、警察の異議申し立てに対する反動、圧倒的な実力をもって拘留を行い、逮捕者に対して法的な説明はいっさいないということ、それが、テレビにおいて展開されている催し物を見ること以外の何かを、勇気をもって行おうとする者に対して、高いハードルとなっている。大使館への二人の抗議者は、(世論の)さしたる批判もなしに、3月3日まで拘留され続けている。

 
沖縄の基地建設に反対する人々には、何年間も平和的な行進を行ってきた経験豊富な反対派もいるが、ここ数週間でデモに対する温度が微妙に変わってきたと言う。警察は何者かに強硬な対応を取るよう指示されており、アメリカ大使館の要請により行動してさえいるかもしれないと、強く考えている者もいる。

 
にもかかわらず、そうではないかもしれない。とりわけ日本の当局は、情況がそれを求めたとき、自分たちだけで自分達の牙をむき出しにできるということは、理論上のことではないということを証明したのだから。
http://the-diplomat.com/tokyo-notes/2011/02/25/japan-cracks-down-on-dissent/

Japan Cracks Down on Dissent By David McNeill
February 25, 2011

I recently covered the accelerated construction of six new US heliports in the village of Takae and a new fence on Henoko beach on Okinawa. All of this is happening despite the apparently more conciliatory tone on base issues in Japan’s southernmost prefecture that was struck last month by US Defence Secretary Robert Gates.


As in the past, the sudden change in tactics appears to have been accompanied by heavy-handed police action. Protestors on Okinawa have already complained of police harassment. And this week, there comes news that two middle-aged activists were arrested about 100 metres from the US Embassy in Tokyo as they tried to approach it with a letter of protest.


According to other activists, when they asked the police the grounds for the arrests, they were told that the reason ‘would be given later.’ Witnesses say the march was largely uneventful until the two men were grabbed from the front of the protest group, dragged away to a police van and detained in Akasaka Police Station, without access to lawyers. The police have refused to comment on the case.


That means there’s no chance to ask if these men were a genuine danger to the cops or the embassy and its staff, or whether this might not be a very old and often successful strategy: nip a potentially troublesome movement in the bud by intimidating it with a couple of more or less random arrests. A similar approach was used during Japan’s controversial Self-Defence Force ‘humanitarian mission’―since discredited―in Iraq.


The protestors had already been told to keep banners and placards concealed before running into a phalanx of cops near the embassy. Six people were then reportedly allowed to approach the embassy to hand in the protest letter, which had been prearranged, but it was rejected. And when about 50 people went to Akasaka Police Station to protest the arrest of the two men, they were ‘kettled’ into a small park for nearly three hours.


Japanese police seldom seem as enthusiastic about cracking down on right-wing violence.


Zainichi (foreign) Korean activist Daniel Choi, for example, was manhandled and beaten by a group of ultranationalists in Shibuya in December as he stood with a sign protesting moves to withdraw public funding from ethic Korean schools in Japan. Police stood by, and then arrested Choi, allowing his assaulters to amble on. Choi, of course, was causing 'real trouble,' that deserved punishment (presumably unlike the ultranationalists who have for years been shouting racist abuse at Korean schools, businesses and consular offices).


On paper, the right to legitimate peaceful protest is respected here. In reality, protests are only barely tolerated as long as they don’t seriously attempt to bother the status quo. But the reaction of the police, their extraordinary powers of detention and the lack of legal representation for arrestees raises the stakes very high for anyone daring to do anything but watch events unfold on TV. The two embassy protestors are being held, without charge, until March 3.


Opponents of the Okinawan construction, including many veteran protestors who have peacefully marched for years, say that the atmosphere on demonstrations has subtly changed in recent weeks. Some believe that the police have been told to get tough, and may even be acting under the orders of the US Embassy.


That seems unlikely, though, particularly since the Japanese authorities have proved themselves more than capable of baring their teeth all on their own when the occasion calls for it.
http://the-diplomat.com/tokyo-notes/2011/02/25/japan-cracks-down-on-dissent/

*1:訳者註:まあわかると思いますが、多分皮肉です

Internacia Apelo por Solidareco al Kometo Nigra, la 4a de decemb

Internacia Apelo por Solidareco al Kometo Nigra, la 4a de decembro

Al ĉiuj, kiuj batalas kontraŭ diskriminacio en la tuta mondo, ni, la "Sav-Komisiono por Kometo Nigra, la 4a de decembro" sciigu tion, kio okazis sur la strato proksima al la stacidomo Sibuya, en la 4a de decembro 2010.

Choi Daniel(崔檀悦), konata ankaŭ kiel Kometo Nigra, juna korea sociologo naskiĝinta en Japanio, protestis sola kontraŭ manefestacio organizita de japanaj rasistoj plenaj de etna malamo. De la rasista grupo li estis tiel grave vundita, ke li bezonis 3 semajnojn por komplete resaniĝi. La polico tamen pretervidis la fi-agon de la rasitoj, kaj arestis Kometon Nigran kun preteksto de perfortado, malgraŭ tio, ke la suferanto estis li.

La sola ago, kiun Kometo Nigra faris, estis stari antaŭ la rasista manifestacio kaj montri panelon, sur kiu iu mesaĝo estas skribita. (Vd. sekvan filmon)


http://www.youtube.com/watch?v=qvdXPdxFjt8

Li ne perfortis. Male, la rasistoj amase batis lin mane kaj piede, eĉ per stangoj de japana flago. Multaj policanoj staris apude kaj rigardis la scenon, sed ili ne haltigis la atakon; arestis nur lin; prenis lian fingro-premaĵon; sed ne donis necesan medicinan panson. Plie ili lasis la efektivajn perfortulojn libere foriri, sen priesplori ilin

Feliĉe li estis liberigita post 50 horoj da deteno. Tamen tiu ĉi afero klare montris putriĝon kaj degeneron de la japana socio kaj la registaro. En la nuna Japanio tolerataj estas rasisma esprimo kaj perforta fi-ago de rasistoj.

La mesaĝo sur la panelo tekstas:

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Mi venis ĉi tien por diskuti.
Ni gardu la rajton de etna edukado!
Ni heredu la spiriton de la Eduka Batalo de HanŜin!
Unuiĝu nia hejmlando!
우리는하나  ANTIFA Kometo Nigra☆

    • -

「民族教育の権利を守るぞ!」(崔檀悦インタビュー)

 雑誌『インパクション』に黒い彗星こと崔檀悦(チェ・ダンヨル)のインタビューが掲載されております。このたび、担当編集者の許可をいただき、転載させていただきます。なお、「12.4 黒い彗星★救援会」(1月23日の報告集会をもって解散)は当初より企業としての株式会社インパクト出版会とは提携関係にありませんでした。
 このインタビューは、黒い彗星のいつもの「ゲバルト節(ぶし)」を反映しており、単純にエンターテインメントとしてすら意義のありうるものです。そして、よく気をつけて読むと、彼のまじめなおもいがにじみ出てきます。
 「跡地」ブログ担当者は、黒い彗星より、在日韓国人朝鮮人のいわゆる「指紋押捺闘争」についての公刊された文献を紹介される幸運に恵まれました(下記インタビュー引用後に紹介します)。おそらく、このインタビューを理解するためには、たとえばそうした歴史についての学習も必要となるのでしょう。とはいえ、読みものとして素でおもしろいので、ぜひ↓。また、支援してくださった政治的にも他のあらゆる意味でも多様なみなさまへの感謝の言葉が含まれています。

「民族教育の権利を守るぞ!」
黒い彗星、12・4不当逮捕事件を振り返る
排外主義デモに単身抗議


崔 檀悦


2010年12月4日。京都朝鮮初級学校を襲撃した排外主義者たちが、京都他四カ所で一年前の事件を賛美し朝鮮学校解体を叫ぶデモを行なった。そして渋谷で、バナーを持ちデモ隊に立ちふさがった青年が暴行容疑で逮捕された。「黒い彗星」こと崔檀悦さん、本誌174号でも執筆いただいた在日コリアン三世の大学院生である。彼が暴力をふるった事実はない。むしろデモ隊から激しい集団暴行を受け、頭部などに全治三週間の大けがを負った。その傷痕がまだ生々しい中でのインタビューである。(まとめ・文責 編集部)


——早期釈放されて本当によかった。逮捕されてどうでしたか。
ずっと黙ってるのって難しいですね。三日で出られてよかった。俺はいま戦略的にフィールドワークしてる、つまりこの体験は俺にとってためになる、権力来い! と思いながら……三日が限界でしたね。
指紋とられたことで色々思い出しました。もちろん指紋押捺闘争のこともありますけど、大学入りたての時に盗難事件があって……俺が会計課に手渡ししたお金がなくなったと、ただ会計課の誰だかがまとまった金を持ってた、その金が俺が渡したものなのかどうか調べたいってことで、警察から何度も電話がかかってきて。俺そのころ打倒するぞとか糾弾するぞ! みたいな一番熱かった時期だったんですけど、すごいびびったんですよ。俺いま警察に呼ばれてる、なんでこいつ俺の番号知ってんの、って。紙幣に俺の指紋があれば犯人が判明する、関係者の指紋はみんな取ったからって言われて、知らねえよ、俺在日だぞって言いたかったけど、結局仕方がなく応じたんです。自宅の近くにある交番で。指紋、それから掌紋もとられた。


——それで……証明はできたの?
それが事件は闇の中。俺それですごく悩んで。そのころは、どこか冷めた目で自分をみてる自分と、民族性というところでどうしようもない自分と、個人的な問題、コミュニケーションが苦手でマジョリティについていけないという感覚と、それを民族性に還元してはいけないという意識がぐるぐるまわりながら大学生活を送っていて。どう考えていいか分からなかった。親しくしてた大学の先生にそのことを話したときには、泣いてしまった。俺、裏切っちゃったなあと。
けど今回は、ほんと無感情でした。調書にサイン代わりに押してって感じで「サインじゃだめですか?」ってきいたら「指紋でお願いします」「左人差し指です」って、じゃまあいいですよとポンポンと。何かいっぱい押して、書類指紋だらけになっちゃいますけどいいんですか? ってくらい押しました。次から逮捕されるときは印鑑もっていこうかな……印鑑証明も。


——え、じゃ一本だけ?
いや、問題はその後で。これで終わりかと思ったら留置場に入れられる時に全部とられた!へんな機械があって身長とか全部、写真もあっというまに。指紋は機械の上でスキャン。いま笑っていられるのは、たぶん、一回泣いたことあるからでしょうね。あと韓国で運転免許とりたいというだけの理由で住民登録した時にも押してるんです。韓国では国民全員から指紋と掌紋もとる。その時も、最初とられた時は泣いたのに、いまはただ免許とりたいがために指紋とらせてる自分がいるなあ……って。だから公権力に指紋をさし出したのは三回目ですね。


——日本での外国人登録では押していないんですね。
そうです。私たちの世代が指紋とられないで済むのは、先輩たちの指紋押捺拒否闘争の歴史があったから。だからその精神をくみたいという気持ち、それを裏切ってしまったという思いがものすごくあった。けどリスクをしょってでも伝えたいことが優先としてあったから。調書はとられても逮捕されないと甘く考えてたこともありますけど。


——釈放後に、東京地検に呼び出されましたよね。指紋押捺闘争の本を片手に面接に臨んだ。
あれは母親の本借りてきて(笑)出すタイミングはまったくなかったですね。前澤検察官は暴行があったかという事実に関してはどうでもいいみたいで、まず「遵法精神は君にあるのか」って言われたんですよ。「君は合法的なデモを妨害することに対する違法性は感じないの」とかなんとか。私が「彼らのデモは私にとって許せないことを言っているわけでして」と答えたら、「じゃあ君がデモの主催者だとしたらどう思うの」と。で「無視するでしょうね」って言ったら「それで危ない目に遭ったのは分かってるでしょ」って。妨害したかどうかが重要みたいな言い方だった。「そうじゃなくて、私はマイノリティに対するヘイトスピーチが許せなくて……」と言ったとたん「そんなことは聞いていない! もういいよ、キミ出てって!」って。一蹴ですよ。暴行があったかなかったか、暴行を受けると分かっててもなぜデモに反対するか、こんな歴史があってとか、色々話したかったのに、こちらの立場は全くくんでもらえなくて。


——崔さんが在日朝鮮人だということについて、リアクションは?
なーんにもなかったですね。まさに法というシステム原理でしかアタマ動いてないんじゃないかって感じ。ハナから邪魔者と決めつけてて……まあ、立派なイヌですね。あ、スミマセン、シニシズム出てしまいました。
結果、不起訴ということで、証拠映像もあるし起訴は無理と判断したんでしょうけど……なんか俺、中途半端に出されたから被害者ヅラできないんですよ。あと「大人になりなさいよ」とも言われましたね。なんか27歳だったら新卒でサラリーマンやってもう五年めだろ? みたいな感じに聞こえた。「では、私の処分に関して大人の寛大な対応をぜひ勉強させていただきます」とかなんとか、うまいこと言えばよかったなあ。だって、途中でキレて「出てけ」って言ったのどっちだよ!(笑)。あれにはびっくりした。「大人になりなさいよ」って言った人がいきなりキレて「退場!」って、心の壁いきなりシャットダウンですよ……。


——なんかポカーンとした顔で面接から帰ってきましたもんね。「俺、怒られたんですけど……キレられたんですけど……」って(笑)
結果、起訴猶予、「暴行の嫌疑は多少ある」みたいな処分になるっていやがらせだなあって。暴行の事実についての質問なんかひとこともなかったですから。たんに前澤さんは俺のこと気にいらないから起訴猶予にしたんじゃないか。「嫌疑なし不十分」にならなかったことで、応援して下さったみなさんをがっかりさせてしまったと思って。


——東京地検が腐ってるだけ。ネットでは崔さんへの誹謗中傷が続いています。顔写真もアップされている。中には崔さん自身、気にいってる写真もあるようですが。
西村修平主権回復を目指す会)を投げ飛ばしてるようにみえるやつ、あれ気に入ってます。あまりにもうまく撮れてるんで、何でこんな奇跡の一瞬が撮れたの?っていう。正直、俺その瞬間のことよく覚えてないんですけど、あの写真見せられたら、あ、俺ほんとに修平を倒したのかなって。すかっとする人いるんだろうな、と。俺もあの写真みてすかっとしましたから(笑)。柔道やってるからああいう動きがくせになってるんで、無意識にかわしたんでしょうね。あんなふうに突っ込んでこられたらバランスをとって転がしてあげないと逆に危ない。だからたぶん一番いい形で転ばしてあげてると思うんですよ。自分も多少リンチされても血が出るくらいはしょうがないかなとは思ってたし……。


12月4日は、崔さんにとって忘れられない日だった。一年前のこの日、在日特権を許さない市民の会の構成員が、京都朝鮮第一初級学校におしかけ、「スパイの子」「日本から出ていけ」などと罵声を浴びせ、地域住民や京都市とも合意の上で長年利用していた公園からスピーカーを無断で切断、演台やゴールポストを勝手に撤去するといった暴挙を繰り広げた。事件をめぐってはこの一年、大きな動きがいくつかあった。在特会側から逮捕者がでると同時に朝鮮学校の元校長が都市公園法違反で書類送検された。現在、朝鮮学校側が提訴。一方で、朝鮮学校の高校無償化排除はいまも続いており、外国人地方参政権も話題にのぼらなくなった。それどころか、延坪島砲撃事件を新たな契機に、朝鮮学校で学ぶ生徒たちにもっとも鋭く報復感情が向けられるという事態が続いている。崔さんはそうした中で署名集めやビラまきといった地道な活動を続けてきた。朝鮮語講師もしており、朝鮮学校での民族教育の重要性を再認識してきたと話す。


——チェさんは基本的に一人で行動してますね。
俺はいつでもピンですよ。友だちいなくて悪かったな、冗談です(笑)。エルファという高齢者施設に在特会が押しかけたときも朝の新幹線で京都に行って、自分は在日ですけど、そこで闘っている人たちとは同胞であるってだけで立場性はちがう。
私の中では、2010年1月24日に起こった出来事が一番大きくて。新宿中央公園で、高校生が逮捕された。私も現場にいたんで。中谷(主権回復を目指す会)に髪の毛むしられたし。mixiの「在特会を許さない市民の会」管理人をやってるんですけど、京都朝鮮初級学校の事件が起こってしまって、その後、池袋で中国系商店に奴らが押しかけた事件で高校生と出会って、1月24日は行かないとちょっと俺しめしつかないなと思ったこともあって行って、結果ボコ殴りにされた。それからですね、京都、蕨、地元・仙台、小平、私の愛する秋葉原も……。


——12月4日は正確にはシットインしようとしたんですよね。バナーしか持っていなかった。
そうです。座り込めば逮捕されなかったのかなあ。公道に一歩出た瞬間、ふっといろんなことがアタマをよぎった。さんざん在特会の問題は日本人の問題と言いながらフライングぽいなとか、運動的に奴らが衰退しようとしてるときに戦略上どうなのかとか……けど、衰退してようがどうしようが関係なく、許せなかった。とにかく。1・24以降、私は在日朝鮮人として久々の強制国外退去者になってやる、っていう覚悟でいたんです。あの日のこと、ほんとうにくやしかったから。
もちろん甘い考えもあったと思います。自分はその日の夜知人と飲む約束してたんで、せいぜい何時間か拘束されて調書とって出られるだろうと思ってた。
私は、在日朝鮮人である前にニートなんで親にもうしわけないという気持ちはもちろんあります。
だけど、私はいわば、幸福な在日なんです。在日の中でもマジョリティで教授の息子で、やっぱり恵まれている。だから在日同胞はまきこまない。単パネで行くしかない。


——崔さんは、在特会の存在は早くから結成当初から知っていましたよね。ネット上で増殖する排外主義を「パラノイアナショナリズム」と名づけ、注目してきた。大学院で社会学を専攻したのも、そうした問題意識からですよね。
はい、2003年頃からブログやってて、ネトウヨにめちゃくちゃ荒らされた時期があって。つくる会とかが出てきたころで、本当この現象怖いなあ、どうしようって思ってた。あのころ『嫌韓流』が飛ぶように売れてて、見ていると、アマゾンランキングに『嫌韓流』が一瞬出てないってだけでブログに火がつく、そういう瞬間があるんですよ。自分たちの不満、不満、不満ばかり。被害者意識。
じっさい90年代以降の保守的な言説を口にする人は、他国や左翼を馬鹿にし揶揄するアイロニー言語に長けていて、揚げ足取りばかり。とにかく冷笑的。それで「タブーに挑戦する」ってことになってる。ハァただ構造化した中でのおまえらの差別感情吐き出してるだけだろっていう……。差別の内在化というのは怖いなあと。
そういうことずっと考えてたので、ポスコロ研究者やりたいなあとも思ってたけど、それやってる同胞それなりにいるから、俺はあえて継続する植民地主義の文脈から、2ちゃんねるとかサブカルみたいなのを理解しようと、ネトウヨ分析やろうと思って。
誰もが差別意識を持っているし、持たないと生きていけない構造になってる。そのことが問題だと思っています。その中で冷静に自分の間違いを認めながら反省する、私は自己再帰性と言ってますけど、つまり自らを振り返る力というのが必要で、けど反省しないロマン主義がはやってる。ネタにベタに反応しちゃう。それがネトウヨ現象だと思ってます。まあ、あと何というか、俺こそシニシストだろって感じだったんで。


——シニシストなの?
そうですよ。実際暴言吐きまくりで怒られまくってますよ。昔から厭世的な人間で。きっかけは、差別ですね。高校のときの応援団長が産経新聞が大好きな奴で、そいつに急に「朝鮮へ帰れ」みたいなこと言われて。いきなり。けっこう仲良かったのに。


——仲良かった人なんですか?
よかったですよ、だって俺、柔道部の部長ですよ。応援団長は大会で俺のこと応援しなきゃいけないのに。他にも調理実習のとき同じ班でコロッケつくったときに、うまいうまいって俺が食ってたら、彼が「これは俺とお前でつくったから『日韓併合』って名付けよう」って……もうどう言っていいか分からなくて。それで、理系で彼と同じクラスだったんですけど、文系志望に変えました。本当は、動物学者になってアフリカに行きたかった、野生のチーターとゴリラみるのが夢だったんだけど。
彼に応答しなきゃ、言われっぱなしでくやしいという気持ちがあって。俺がいまここにいることの正当な論理がほしいって思った。大学で最初哲学を選んだのは、やっぱりどこかシニシストなんでしょうね。メタな視線に立ちたかったんじゃないかと。シニシズムってそれ自体が癒しなんですよね。
ある意味ひらきなおれるし。マジョリティ願望もあります。私のところどころ出る問題発言というのもマジョリティ願望であって、差別を内在化してるってことなんですよね。ミソジニーあるし……だから自己再帰性が大事だと。私はみなが自己再帰性を機能させるのが、差別をなくす唯一の方法だと
思っているんです。
在特会のような奴らは、存在論的不安と相対的剥奪感に支配されてる人たち。彼らがいったいどういうメンタリティでウトロや朝鮮学校に堂々とヘイトスピーチをばらまきに行くのか、それは日本人っていうだけで安全圏の中で守られてると信じてる、からだと思う。自分には日本人ってだけでそれ以外の他者をコントロールできる権利があると思っている。けど、実際は、現実にはそうじゃない。
それを認めるのが怖いんでしょうね。そのためには暴力も肯定する彼らの正義は、単により強い者の側につくかどうかで決まってる。そういうの、シンプルに許せないんですよ。


——崔さんが掲げたバナーには「民族教育の権利を守るぞ!/阪神教育闘争の精神を受け継ぐぞ!/祖国統一!」とありました。ハッとした人も多いと思う。私もその一人です。最後に「黒い彗星」の由来は?
「黒い彗星」は、2ちゃんねるでゴキブリの愛称を募集しててそこで見つけた名前です。ゴキブリ上等! ……いや、聞かれるたびにいろんな違う理由言ってて、これも後づけですけど(笑)。支援してくれた全国のみなさんには本当に感謝してます。マジRESPECT!


※事件の経過と詳細は、「12・4黒い彗星★救援会(跡地)」ブログ
http://d.hatena.ne.jp/free_antifa/


インパクション178号 掲載)
インパクト出版会


参考

指紋押捺拒否者への「脅迫状」を読む (1985年)

指紋押捺拒否者への「脅迫状」を読む (1985年)

高校無償化からの朝鮮学校排除について(柏崎正憲)

 黒い彗星のバナーには、「民族教育の権利を守るぞ!!」というメッセージが含まれています。彼が昨年12月4日に直接対峙した「主権回復を目指す会」「排害社」「在特会」などは、じっさいに在日外国人の教育を攻撃しています。いっぽう、日本国家・社会・市民全体もまた、「日本人」ではない者の教育を受ける権利を侵害しています。その一例が、いわゆる「高校無償化」政策からの朝鮮学校排除です。1月23日の報告集会では、排除に反対する運動に参加している柏崎正憲(かしわざき・まさのり)より、この問題についての発言がありました。
 以下、柏崎発言に、当人がじゃっかんの修正をくわえたものを掲載します。柏崎個人の意見であること。また、1月23日時点の発言であることにご留意ください。

柏崎と申します。
この救援会にも初動には関わらせてもらいました(彼が釈放されたあとは、いろいろ他の仕事もあって、特になにもしていなかったんですが)。


今日発言を求められたのは、僕がたとえば救援にちょっと関わったとか、あるいはヘイトスピーチに反対する会で活動してることとかはとは、やや別の理由です。
朝鮮学校の高校無償化排除に反対する市民運動に僕もコミットしてるから、その点からなにか言ってくれないかと、つねのさんから発言を求められました。
そこで今思ってることを簡単に申し上げたいと思います。


この無償化排除の件は、あまり詳しく言わなくても、みなさんご存知のことだと思います。
他にもたとえば不認可のブラジル人学校とか排除されてる学校はありますが、もともと適用範囲に入ってたのにも関わらず、名指しで排除されたのは朝鮮学校だけで、これはあきらかな差別。
2010年2月に民主党中井洽(なかいひろし・当時は拉致問題担当相)が、朝鮮学校の排除を言い出したことがきっかけでした。
4月に「高校無償化法」が施行された時点で、朝鮮学校の「適用保留」は決まってしまったのですが、その後さまざまな働きかけがあって、夏ごろから適用に向けたプロセスが進められてきました。
にもかかわらず、たとえば「朝鮮学校反日教育をしている」といった口実をつかって、プロセスを揺り戻す動きが、何度か起きています。
そのなかで一番最近に行われたのが、2010年11月、朝鮮と韓国の軍事的衝突というものをダシにして、今の菅首相の差し金で、朝鮮学校への適用プロセスが「一時停止」させられているわけですね。


それで、昨年3月から、首都圏でも多少大きめな市民運動の動きができて、朝鮮学校に即時に無償化を適用せよとそれをしないことは差別だということで、何度か集会やデモも行われてきました。「『高校無償化』からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」です。
11月の適用プロセス停止のあとにも、2回ほど申し入れをやっています(2011年1月23日現在)。


そこで本題ですが、その申し入れのときにどんな要求を突きつけるかについて、会のなかで多少議論になりました。そのことをちょっとお話しようと思います。


外交の問題を教育と絡めないと言ったじゃないか。その舌の根も乾かぬうちに、そうやって外交問題を教育権に絡めるつもりか。
基本的にはそのような形で、朝鮮学校への適用をストップすることを批判するようなスタイルの申し入れ文案でした。


それにつけくわえて、わたしが言ったのは、あきらかに構造的な問題があるのではないかとういうこと。
アメリカ、日本、韓国と軍事的な協力が半世紀以上あって、今も韓国であるとか、そしてアメリカであるとかの偵察機は、朝鮮民主主義人民共和国の領空をバシバシガンガン侵犯していて、つまり構造的な敵対的な軍事行動を行っている。
日本の自衛隊も、その(昨年11月の)延坪島衝突のあとに、たとえば自衛隊の軍艦を配備して戒厳状態を作って、アメリカと韓国の軍事演習に協調している。またそれ以前からも、日韓での軍事演習とかを最近は強めています。
朝鮮の側は、そういう挑発をやめろと何度も要求していた。


ここ1年だけを見てきても、そういう流れが、構造的な対立があるなかで、11月の衝突も起きた。
それを無視してはいけないというか、そのこともちゃんと言及しつつ、今回の「適用プロセス一時停止」も批判しなきゃいけないのではないかと。日本がまったく無関係な立場から、あの件は朝鮮が悪いとか、あの件は韓国も悪いねとか言うんじゃなくて。
外交判断を教育政策に含めるか含めないかの問題だけではなくて、そもそも11月のあの軍事衝突について、日本の政府は無関係な第三者ではないでしょうと、そういうことを入れようかどうかで議論しました。


最終的にはこうなりました。
どんな理由であれ、朝鮮学校への「無償化」適用を遅らせることは差別だということを強調して、そのことについて詫びを入れろと、早く適用しろという点。
あとは、外交問題についてこちらから言及することは、向こうの、政府側の考え方に加担することになるので、延坪島衝突の件の政治的な判断や評価については、この会では一切しないということになり、結局わたしの提案は流れました。
外交的なこと一切を無償化排除の件と結びつけるべきではないというこの判断が正しいのかどうかというのは、ちょっとわたし自身、結論を出せてません。


なにが言いたいのか。
もちろん差別という問題に反対するのは重要であって、朝鮮学校に無償化が適用されるかどうかは、それ自体が大きなかけがえのない問題です。
しかし他方で、構造的に朝鮮に対する敵対政策という問題もある——日本が独自でやってる側面もあれば、冷戦時代から韓国、アメリカと組んでやってる要素もあり、また植民地時代からの日本の構造的差別も絡み合っています。
そういう大きな政治問題についても、おかしいと言っていくことが大事ではないか。


それは、別に無償化からの朝鮮学校の排除という問題を無視するとか、副次的な問題とするという意味ではありません。
あきらかに差別する側が、構造的な政治対立(朝鮮民主主義人民共和国)と社会的な差別(在日朝鮮人に対する)というものを連動させているのだから、両方とはっきり戦っていかなければいけないのではないか、ということです。
反差別と反帝国主義、両方きちんとやっていきましょう。


参考リンク
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2011/03/1103j0226-00003.htm
2.26朝鮮学校への「無償化」即時適用を求める大集会
2011-02-23

週刊金曜日「不当逮捕された崔檀悦さんの救援報告会」(原田成人)

 週刊金曜日に、報告集会の記事が掲載されました。執筆者の原田成人さんのご許可をえて、転載します。なお、「救援会跡地」は株式会社金曜日と提携関係にあるわけではありません。

不当逮捕された崔檀悦さんの救援報告会
2011 年 2 月 8 日 7:07 PM


 昨年12月4日、排外主義グループのデモ参加者に暴行を加えたとして逮捕された崔檀悦さんの救援報告集会が1月23日、事件のあった東京・渋谷区で開かれた。「朝鮮学校を日本からたたきだせ!」などと叫ぶデモ隊の前に「民族教育の権利を守るぞ! 阪神教育闘争の精神を受け継ぐぞ!」と書かれたバナーを持って立った崔さんは、デモ参加者に集団暴行を受けた。警察は保護と称して崔さんを渋谷署まで連れて行き、暴行容疑で逮捕。


 事件を担当した萩尾健太弁護士は「暴行の加害者であるどころか、本人は集団暴行で頭部や目の下などにケガを負っており被害者なのは明白」と話す。


 起訴猶予となった崔さんは「2002年を境に朝鮮人・韓国人・中国人などを蔑視する気風が高まった。ここ数年の朝鮮学校に向けられる差別的視線をどうにかしたい、剥奪されている民族教育の権利を守りたいと思い行動した」と語る。


 激励トークで登壇した朝鮮語翻訳家の米津篤八さんは「1948年の朝鮮学校閉鎖令以来、民族教育への弾圧は続いている。活発化している『在特会』などの排外主義団体は右翼の跳ね上がりなどではなく日本人全体の問題。今回の事件は、関東大震災の時に起こった朝鮮人虐殺事件の(千葉県福田村〔当時〕における)自警団の扱いとダブる。社会全体の容認がこうした事態の背景にある」と問題提起した。


(原田成人・業務部、1月28日号)
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=576

渋谷望「救援集会発言要旨――非暴力直接行動について」 

 1月23日の報告集会での渋谷望(しぶや・のぞむ)発言事前原稿を、一部修正したものを掲載します。先日アップした米津篤八(よねづ・とくや)さんのご発言は、黒い彗星こと崔檀悦(ちぇ・だんよる)のバナー・メッセージ内容を、歴史的・現代的な文脈をふまえて日本人としての立場から解釈しようとするものでした。渋谷の発言は、崔が2010年12月4日に採用した「非暴力直接行動」という方法を、世界的な反差別運動の伝統に位置づけようとする一つの試みです。

非暴力直接行動について


●ぼくは崔さんの指導教員なのですが、彼の成績が悪かったとかそういうことについて話しに来たわけではなく、彼の抗議行動がどういう意味をもっているのかぼくなりの理解について話したいと思います。


●今回の彼の抗議行動は一般に非暴力直接行動と呼ばれるものです。


●実際、救援ブログのメッセージなどでローザ・パークスに彼の行動を重ね合わせる人が何人もいました。ローザ・パークスは、白人優先バスで白人に席を譲らなかった黒人女性で、彼女の行動からキング牧師を指導者とする公民権運動が始まったとされています。


ローザ・パークスほど知られていませんが、ランチカウンターのシットインという有名な非暴力直接行動があります。1960年にアメリカのグリーンズボロという町で始まった運動で、黒人学生たちが大手デパートの食堂の席で注文を取りに来るのを待ったという運動です。


注文を取りに来るのを待つということが運動になるというには何か奇妙な感じがしますが、当時の南部では人種差別が公認されいて、彼らが座ってオーダーを待っていたその食堂も、客としての黒人の入店を歓迎しない大手デパートの食堂だったのです。


彼らにオーダーを取りに来る者はその時いませんでしたが、だんだん日がたつにつれて運動は広がっていきます。するとそれとともに、差別主義者たちがやってきて嫌がらせをします。彼らをののしり、卵を投げつけるなどの嫌がらせが高じていきます。
しかし結局、食堂は差別的な待遇を撤回することになります。


●待つという地味な行為が運動になるのは、それがそれまでスルーされていたさまざま差別の異常さをあらためてあからさまにするからです。その異常さとは、たとえば、黒人の出入りを禁止する食堂の異常さであり、じっと座っている黒人をののしり、卵をぶつけるといった、差別する側の異常さです。非暴力直接行動とは、それまで黙認されスルーされてきたこうした差別や抑圧をあきらかにし、問題を可視化する戦略です。


●今回の彼の行動はこうした非暴力直接行動の世界的な運動の伝統に位置づけることができます。じっさい彼の行動はデモ隊の側の異常さを明らかにしました。先ほどのビデオで見たように、横断幕をもってゆっくりと近づく彼を問答無用ではがいじめにし、リンチにすることの異常さです。さらにいえば、こうした行為が許されていると感じることの異常さであり、法治国家がこれを許すことの異常さです。


●僕は12月4日のデモを主宰した人たちの主張のことをよく知りませんでした。じつは今もそれほど知りません。しかし彼らの主張が何であれ、反対の意志を表明する者にリンチをすることが正しいと考えているのであれば、それは常軌を逸しています。
彼の抗議行動はそのことをあらためてあからさまにしてみただけです。